すまいるくらそ

シニアの日常の暮らしと出来事

また「ありがとうの」の声を聞きたい。

このブログの登場人物でもあった

爺っこが逝って一ケ月。

ようやく他の方のブログも読めて

更新もできるようになってきた。

 

でもフラッシュバックがひどくて

苦しい。

 

爺っこはよく家族に

おはよう、おやすみ

ありがとうと言っていた。

 

近くにいないと

わざわざ寄ってきて言う。

 

薬の準備

目薬をさしてあげた時も

通院から帰って車から降りる時も

必ず「ありがとう」

 

それなのに私は

爺っこに「ありがとう」を

言っていただろうか。

言っていない。

 

夜、風呂の掃除してると

「もう寝るね。おやすみ」

もうこの声は聞けないのだ。

 

いつもなら夕飯食べると寝床に行くのだが

今年に入って20時半過ぎまで

私たちと一緒に

こたつで過ごすようになった。

きっと寂しかったんだろう。

 

弱ってきても

なるべく自分でやろうと頑張っていた。

たいしたもんだよ爺っこよ。

「自分はもう長いことはない」

「自分が死んだ夢を見た」と言っても

普通に食べて

いつものように生活送っていたから

聞き流していたよ。

 

爺っこがいたから

私は自分の健康にも気を配った。

爺っこがいたから張り合いがあった。

 

トイレも洗面所も汚れない。

タオルも一回でびしょびしょに濡れない。

もう毎朝爺っこ用の

サラダつくることもない。

なのに

なのに楽になったとは感じない。

むしろしんどい。

 

私はその場にいなかったけど

医師は息子に言ったそうだ。

「90過ぎれば

認知症で別人になって死んで行く」と。

たくさんの患者をみてきてるから

そう言ったのだろう。

 

でも

爺っこの死に集まってる人たちの様子で

医師は

この爺さん幸せだなと思ったのだろうか。

 

 

人望の厚かった爺っこ。

風の便りで香典が送られてきたり

持って来てくれる。

良くしてもらったお友達に

お会いしたかったけど

その方も足が弱ってきていて

会うことはできなかった。

 

自分の両親の亡くなり方を見てきて

自分はどんな死が

待ち受けてるのだろうか。

 

 

 

 

今日の桜

 

 

昨年5月のはじめ

道の駅に行って車いすで散歩していると

いい天気で気持ちいいなぁ。
幸せだなぁ。

 

この時の爺っこの顔がとてもいい顔で

どこか遠くへ行ってしまいそうな

感じを受けた。

 

一年後

思い出の場所を訪れて

同じように歩いた・・・

あの時、あのベンチで座ったっけ。

あそこでランチ食べたね。

 

 

 

餅と団子が大好物だった爺っこ

お供え

中に餡は入っていないけど

甘いトッピングでちょうどいい。

特に白のお団子はフルーティでした。

 

 

このキャラクター看板が目印