すまいるくらそ

シニアの日常の暮らしと出来事

理想な死に方ってあるのかしら

ブログの登場人物 
管理人=彩葉
夫=ポン助 
故人高齢父親=爺っこ
長男=唆義史 
次男=輔駒史

 

爺っこの四十九日法要が終わりました。

唆義史はGWに来て帰ったと思ったら

法要に来てくれました。

爺っこが亡くなってからというもの

いつも私に寄り添ってくれます。

自宅で行ったのですが

ポン助も言ってたように

空気というのか目に見えないけど

言葉に表わせない特別の何かを感じました。



この日

不思議なことがまた起こりました。

 

輔駒史の夢にまた爺っこと

私の亡き母と二人で現れたそうです。

ふたりに近寄って抱きつこうとしたら

目が覚めてしまったらしい。

 

そして

法要が終えたその日の夕方

私がお仏壇の前で話かけてると

あの灯籠が周り始めました!

ゆっくりからスピードが出て

またゆっくりと止まっていきました。

 

うんうん、わかる。わかるよ。

一生懸命伝えようとしてるんだね。

「ありがとう」って言ってるんだね。

伝わったよ!

 

でも家族はシラ~~~っとして

相手にしてくれないけど

自分が感じるんだから

それでいいの。

 

まわりに亡くなった人の話を聞くと

死期に近い人の中には

不思議な現象を見るようです。

知らない人があそこにいると言ってみたり

幻覚,幻聴が起こるようで

これはきっと脳に何かしら

影響与えてるんだろうな。

 

 

私の中で

理想的な死に方のイメージがありました。

現実は

なかなかそうはいかないものですね。

 

岡田美里さんの母親が

やはり92歳で3月にお亡くなりになり

手を握りながら旅立ったとありました。

そう、まさにこれ。

耳だけは聞こえると言われてるので

少しずつ弱っていく中

(それも辛いのですが)

大好きな人に囲まれて

最後の言葉をかけられて

静かに眠るように逝く。

義父がそうで、意識ない中

一筋の涙を流して逝きました。

 

母の時は夏なのに

連絡受けて病院に着くまで

とにかくみんなが寒いと言っていました。

気温でないことは確か。

あの寒さは

今まで経験したことのない寒さでした。

靄っぽいものも近くに感じました。

爺っこの時は全然それがなかった。

輔君が言うには

母の時は

言い残すこともあっただろうし

苦しんで逝ったのと

ある程度満足して

苦しまず(想像でしかないが)

スーっと逝ったかの違い?

 

先祖代々の遺影を見ると

不思議にその日によって表情が

違うように見えます。

嬉しそうだったり寂しそうだったり

ちょっと怒ってる?ように見えたり

その方の話題にした日は嬉しそう。

 

感じる,感じないは人それぞれ。

信じる、信じないもそれぞれ。

どちらかというと信じない方だった私が

大切な人を亡くして初めて

自分は信仰心あったと知る。