すまいるくらそ

シニアの日常の暮らしと出来事

妹に嫉妬していた私

私には孫がいません。

子育て中のブログを拝見させてもらって

そういう時もあったなぁとか

孫がいたら、どんなバァバになっているのかなと

ほほえましく読ませてもらっています。

 

こどもは自分の所有物じゃないのは承知だけど

子育ては思うようにいきませんよね。

 

そんな私が他人には嫉妬しないのに

妹には嫉妬していた時期がありました。

 

妹は自由奔放に生き

長女の私とは育て方が全然違います。

年が13も離れているので

最初はそのためかと思っていましたが

母親の異常なくらいの愛にそこまでしなくてもと

いつも思っていました。

 

今の家を建て引っ越した時に

都会へ行っていた妹が帰って来て

一緒に同居するようになってからは

歯車が違う方へと向かっていくようでした。

 

私も子育て中で働いていたので

妹に手伝ってもらいたいことをお願いすると

母親の機嫌が悪くなるんです。

妹に手伝わせるのは、いじめるようにうつるのか

とにかく家事を一切させようとしません。

 

食事作りで何が嫌だったかというと

帰りが遅くなって夕食は食べてくるという連絡を

妹は入れてくれないのです。

注意するとその時は「わかった」と言ってくれるのですが

それまで。

 

妹は夜遅く遊んで帰ってきても叱られることもありませんでした。

それどころか冬なら電気毛布を14時頃からつけて

布団をあたためてあげてるんです。

とにかく至れり尽くせりなので結婚する気なかったでしょうが

私が原因で結婚することになったと思います。

 

私も妹がかわいい時期がありましたが

ある日、偶然に妹の本音がわかったことと

さすがに本人の年齢からして母親べったりの

甘えた生活してる妹に対しうんざりしてきたのです。

 

まるで冬彦さんの女版ですね。

 

結婚後も頻繁に来ては母から

お小遣いもらっていたのも知っています。

 

妹は世渡り上手、甘え上手。

両親にしてみたら私より可愛げあります。

 

私も二人の子を育ててみてわかります。

長男にはやはり厳しくなっていました。

子育ても初めての経験ですから

失敗もたくさんあります。

だからといってルールはきょうだいで違うとか

そんなことはしてこなかった。

 

母親が私の学校行事に来たことは一切ありません。

入学卒業式も祖母か父でした。

 

でも妹は違っていました。

出産の時も妹が入院してる病院へ

迷子になりながらでも行くのに

私の時は孫が生まれても来ませんでした。

 

隣のベッドを見ると

お母さんが娘さんの腰をさすってあげたりしてる。。。

なんてあたたかい光景。

 

どうしてこんなにも違うのか理解できずにいましたが

亡くなったからこそ、いろいろ思うことがあります。

感情の起伏が激しい人だったので

悪気はなく、ただ感情に赴くだけであって

母は何も考えてはいなかったのでは。

 

私はというと

母親の愛情にいつも飢えていたように思います。

それでも母は母なりの愛情があって

私が感じなかっただけなのかも知れません。

ただひとつ、

母の愛情を感じたことがあります。

それは私が初潮を迎えた時、心細かった私。

何も言わず下着を替えてくれたことです。

私の求めていた愛情でした。

 

妹とは現在、

表面的には外面良くやっています。

 

妹にしてみたら

私が羨ましいと思ってることもあるのかも知れません。

 

母親との確執で妹は関係ないのに

年が離れた妹とは

他人行儀なところは否めません。